初めに
我が家に初めてアップルが届いたのは、1991年の秋でした。矢野顕子のアルバム「LOVE LIFE」と同期する気持ちのいい季節。その際、お世話になったアーカイブソフトがタイトルのCompactPro。もう開発も終了したとのこと。自分も すっかりウィンドウズ漬けの日々、時代の変遷を感じます。「反省するが懲りない」をテーマに過ごしたこれまで。様々な出来事を徐々にアーカイブし、自己の 半生の棚卸をする試みにブログを活用したいと思います。過去にも向かっていく-Back to the Future-なブログをお楽しみください。
最初の記事
1983雪の日 1983年2月 8日 (火)
旅行記
2007年 米国 アリゾナツーリング/L.A. 6月15日~6月25日
2007年 北海道・東北 5月30日~6月10日
2006年 バリ島 10月6日~10月10日
2000年 ヨルダン 7月30日~8月6日
2000年 スペイン 7月21日~7月30日
1999年 シリア/ヨルダン 9月24日~10月1日
1999年 ロシア 9月15日~9月23日
1996年 イスラエル/ヨルダン 12月3日~12月11日
1995年 米国 デンバー/デトロイト 9月2日~9月10日
1994年 米国 フロリダ 5月4日~5月18日
1993年 メキシコ/グアテマラ 9月23日~10月3日
1989年 ヨーロッパ 2月8日~3月8日
1988年 ヨーロッパ 2月20日~3月20日
オーディオ
<<現在のシステム構成>>
スピーカー:MartinLogan Sequel 3
プリアンプ:MarkLevinson No.380L
パワーアンプ:KRELL KSA-100S
CDプレーヤー:ESOTERIC X-50w
レコードプレーヤー:LINN AXIS
カートリッジ:ORTOFON MC Kontrapunkt-a
フォノアンプ:SHELTER MODEL216
- MarkLevinson No.380L 2005年1月30日 (日)
- LINN etc レコードプレーヤー 2002年6月23日 (日)
- KRELL KSA-100S 2002年1月 9日 (水)
- ESOTERIC X-50w 2000年10月29日 (日)
- KRELL KRC2 2000年10月28日 (土)
- QUICKSILVER AUDIO S60 1999年6月 3日 (木)
- MartinLogan Sequel 3(MartinLogan SL3) 1999年5月29日 (土)
- REVOX C221 MK2 1998年8月13日 (木)
- 最初のシステム 1989年12月16日 (土)
のだめカンタービレ
- のだめ、ファイナル! 第11話
- のだめ、燃焼! 第10話
- のだめ、爆演! 第9話
- のだめ、飛翔! 第8話
- のだめ、またもお休み! 第7話
- のだめ、お休み! 第6話
- のだめ の目覚め! 第5話
- のだめ、発火! 第4話
- のだめ、もーダメ! 第3話
- のだめ の春! 第2話
プロフィール続き-"Back to the Future"とは?!-
そこで詳しい語注のついた英訳『オディッセイ』を買い込み、読み進めてみて、ある老人の特性描写に、次のような言い方をみつけたのであった。
――the only one who sees what is in front and what is behind. ――この人だけが前の方にあるものと、」背後にあるものとを見る(ことが出来る)。
ところで、この一句につけられた訳注によると、古ギリシアでは、過去と現在が(われわれの)前方にあるものであり、従って(われわれが)見ることの出来ない未来は、(われわれの)背後にあるものである、と考えられていた、というのである。
これをもう少し敷衍すれば、われわれはすべて背中から未来へ入って行く、ということになるであろう。 すなわち、Back to the Futureである。
これに味をしめて、今度はソフォクレスの『エディプス王』を読んでみると、そこにも合唱隊のセリフとして同様のものを見出した。 ――not seeing what is here nor what is behind. ――ここにあるものも見えなければ、』背後にあるものも見えない。
つまり、ほんの少数の賢人だけがわれわれの背後にあるもの(未来)を見ることが出来るのだ、ということになるであろう。 かくて、未来がわれわれの背後にあってわれわれには見えない、ということになると、この未来はいくらか魔物めいて来ることは、避けがたいと思われる。
しかし、魔物めいて来はしても、この方が、キリスト教の千年王国説や啓蒙派、あるいは産業革命前後のユートピアを前提とした人間進歩説よりも、たとえ逆説的であったとしても、少なくとも濃度の濃いリアリティーをもっている、と私などには思われるのであった。
また、過去と現在こそが、われわれの眼前にあるものであって、それは見ようとさえすれば見えるのだ、という考え方も、また、濃いリアリティーをもっている。 ここで過去という言い方を、歴史、と言い換えてもいいであろう。
こういうことを考えながら、では未来を予言する預言者たちは、どういう顔付きをしていたものであったかと思い、ギリシア彫刻を集成した本などを眺めてみる と、預言者といわれる人々はみなヒゲをはやした老人で、その表情は緊張し切っていて、自分の透視するものの負荷に堪えない、とでも言うように、どちらかと 言えばすべて悲劇的な顔付きに見えるのであった。(以下略)
(堀田善衞「未来からの挨拶」から)


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