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2011年3月 1日 (火)

初めに

CompactPro

我が家に初めてアップルが届いたのは、1991年の秋でした。矢野顕子のアルバム「LOVE LIFE」と同期する気持ちのいい季節。その際、お世話になったアーカイブソフトがタイトルのCompactPro。もう開発も終了したとのこと。自分もすっかりウィンドウズ漬けの日々、時代の変遷を感じます。「反省するが懲りない」をテーマに過ごしたこれまで。様々な出来事を徐々にアーカイブし、自己の半生の棚卸をする試みにブログを活用したいと思います。過去にも向かっていく-Back to the Future-なブログをお楽しみください。

最初の記事 1983雪の日 1983年2月 8日 (火)

ブログ開始時期 2006年8月

プロフィール続き-"Back to the Future"とは?!-

そこで詳しい語注のついた英訳『オディッセイ』を買い込み、読み進めてみて、ある老人の特性描写に、次のような言い方をみつけたのであった。

――the only one who sees what is in front and what is behind. ――この人だけが前の方にあるものと、」背後にあるものとを見る(ことが出来る)。

 ところで、この一句につけられた訳注によると、古ギリシアでは、過去と現在が(われわれの)前方にあるものであり、従って(われわれが)見ることの出来ない未来は、(われわれの)背後にあるものである、と考えられていた、というのである。

 これをもう少し敷衍すれば、われわれはすべて背中から未来へ入って行く、ということになるであろう。すなわち、Back to the Futureである。

 これに味をしめて、今度はソフォクレスの『エディプス王』を読んでみると、そこにも合唱隊のセリフとして同様のものを見出した。 ――not seeing what is here nor what is behind. ――ここにあるものも見えなければ、』背後にあるものも見えない。

 つまり、ほんの少数の賢人だけがわれわれの背後にあるもの(未来)を見ることが出来るのだ、ということになるであろう。かくて、未来がわれわれの背後にあってわれわれには見えない、ということになると、この未来はいくらか魔物めいて来ることは、避けがたいと思われる。

 しかし、魔物めいて来はしても、この方が、キリスト教の千年王国説や啓蒙派、あるいは産業革命前後のユートピアを前提とした人間進歩説よりも、たとえ逆説的であったとしても、少なくとも濃度の濃いリアリティーをもっている、と私などには思われるのであった。

 また、過去と現在こそが、われわれの眼前にあるものであって、それは見ようとさえすれば見えるのだ、という考え方も、また、濃いリアリティーをもっている。ここで過去という言い方を、歴史、と言い換えてもいいであろう。

 こういうことを考えながら、では未来を予言する預言者たちは、どういう顔付きをしていたものであったかと思い、ギリシア彫刻を集成した本などを眺めてみると、預言者といわれる人々はみなヒゲをはやした老人で、その表情は緊張し切っていて、自分の透視するものの負荷に堪えない、とでも言うように、どちらかと言えばすべて悲劇的な顔付きに見えるのであった。(以下略)
(堀田善衞「未来からの挨拶」から)

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